寄付者の声

どんなに苦しくても続けていくこと。これに尽きるかな。

中山 紘一 様 上智大学理工学部企業経営者の会 会長
株式会社ケミトックス代表取締役 CEO
東京都出身。1966年(昭和41年)本学理工学部化学科(石油化学研究室に所属)を卒業。同年に上智大学大学院理工学研究科高分子化学専攻博士前期課程へ進学し、68年(昭和43年)修了。同年、日本曹達株式会社入社。東京本社研究開発室所属。東京大学工学部総合試験所に研究員として派遣。ニューヨーク駐在員派遣。75年(昭和50年)株式会社ケミトックス設立・代表取締役に就任。2005年(平成17年)株式会社京浜ケミトックス設立・代表取締役に就任。専門分野は高分子合成。会社設立後は第三者の試験評価機関として高分子材料の物性評価、その応用研究、鉄道車輌、航空機、車載・振動試験、パワーディバイス、太陽電池など広範囲に及ぶ。また関連会社の京浜ケミトックスは製造会社としてプラスチックの金型設計、金型製造、射出成形を行っている。ISO, ASTM, JIS, ULなどの規格で要求されているテストサンプルの製作も手広く行っている他、3Dプリンタを用いた成形品の応用開発を進めている。

 

やっぱり人生、自信を持って何でもやるということが 大切だと思いますね。

 高校2年の時に急性腎炎を患いまして、慢性化へ進み始めていた関係で、病院で絶対安静を命じられましたから、私の高校生活は何も楽しい思い出がなく、まさに暗黒の青春時代でした。受験には、当時、上智は物理と化学が受験科目として必須だったんですね。たまたま高校から化学の成績がよかったので、これでいこうと決めました。当時は、第1期生だったため大学も理工学部の準備が十分できていませんでした。建物もない状態でしたので、いまはもう取り壊してありませんが、かまぼこ校舎で授業を受けていました。3年4年次の頃からドイツの器材が入ってきて、卒業する頃には最新の設備などがありましたね。当時、実験は大学の4年から始まるんですが、1年だけだと実験をもう少しやりたいなと思い、それでは大学院に行こうと決めました。今の理工学部だとほとんど皆さん大学院に行かれるんですが、当時としては比較的少なかったですね。私が入学した代が理工学部としては第1期生だったので、大学院も第1期生なんです。そのまま修士が終わって、さらに博士課程に行こうと思ったんでが、当時まだ文部省から大学側の博士課程申請の認可が下りていなかったため、恩師から「まず会社に勤めてください。認可が下りたら声をかけますから。」と言われそのまま卒業しました。そういういきさつもありますので、実は私自身が博士課程には非常に拘りというか、執着心がありますね。

それから、日本曹達に入社し東京大学工学部の総合試験所で研究員をしました。当時は、大学院卒というのは日本曹達でも珍しかったため、「大学院を出て研究しているのならば、君は東大に行って研究をしてください。」と言われ、今流行の産学共同研究に参画したわけです。やれやれ大学を卒業し、今度は別な生活になるかと思ったら、また大学と同じようなフラスコの実験になって、あんまり大学を卒業したという実感もしませんでした。当時は学生運動が活発で、安田講堂が陥落するところを実験の合間をぬっては見に行くような時代でした。

上智卒と言うと、「英語ができますね」とよく言われました。当初は理工学部ですから英語はあまりできませんと言い訳をしていましたが、段々言い訳に疲れるようになりました。そうこうしてるうちに日本曹達のニューヨーク駐在員に席がありますよというので手を挙げたんですね。当然ニューヨーク駐在員ですから英語に関して質問されるだろなと思ったので、先手を打って、英語の事を尋ねられると、「もちろん!上智大学卒業ですから自信満々です」と(笑)。 やっぱり人生、自信を持って何でもやるということが大切だと思いますね。それ以降、自分で会社を立ち上げた後も、やはり海外と仕事をしなければいけないということで、「技術はわかります、そして英語も十分できます」と、営業に行ってPRし、仕事を取ってきました。その当時行っていたのがアメリカのULという安全規格に係る業務で、その当時は海外の認証を取らないと日本から電気製品の輸出ができませんでしたので、私が海外に飛んで行って交渉していました。仕事を通じて英語は覚えていきましたね。今は、グローバルに研究したものは世界に情報発信していかなければいけない時代ですから、今日では、もう英語はできて当たり前という時代になっていると思います。私もニューヨークへ行って、一生懸命勉強したら克服できたのです。上智の教育システムはすごく素晴らしいですから今の学生の方は、当時の私ほど苦労しなくて済むと思います。

世の中生き抜くためには、変化をしないとダメですね。


我々の会社はお客様から提供された材料や製品を試験して評価する会社ですが、もう1歩踏み込んで新しいものを生み出していこうと、今度は研究開発部を本格的に立ち上げました。今ちょうど世の中は、脱炭素社会なので、この脱炭素社会を目指した研究開発を本格的に行っていこうとしています。具体的にはリチウム電池だとか、さらにその先をゆく全固体電池、それから水素エネルギーの問題だとか。そして、電気自動車の要となるパワーディバイスの研究開発もしています。「新しいものを。今あるものよりもっといいものを。」というテーマで本格的に社内で研究開発を始めています。

このように幅広い分野で仕事をしているのは、ポリシーでしょうか。専門が高分子化学ですが、その素材を使って様々な新しいものができてくるわけなんですね。ですから、そのプラスチックを造る化学会社でプラントを造るとすごくお金が必要なわけです。私が会社を作ったばかりでお金がないときに、そういうプラスチック、高分子というものがどう使われるか、使われる側の立場から仕事をすれば視野は広がるだろうと考えたことが事業開始のきっかけです。基本的に素材に関する知識は充分持っていましたので、高分子材料を見る視点を変えたわけです。航空機もプラスチック材料が内装材料としてずいぶん使われますが、ひとたび火災事故が起きると、密閉されていますから非常に危険度が高くなりますので、非常に厳しい規制があるんです。それをケミトックスが一手に評価できるよう設備を導入していこうと決め、航空機という分野に特化した評価を行っています。また、鉄道車両にも、鉄だけでなく、プラスチック材料、高分子材料が車両の中にはいろいろ使われています。高分子材料の上にコーティングしたり、クッション材料として座席等に使われています。これも密閉された空間ですから、ひとたび火災が起きると非常に危険ですので、それらの試験を全部我々が対応いたしましょうと。鉄道車輛はヨーロッパの規制が非常に厳しいです。アメリカは車社会ですけれど、ヨーロッパは逆に鉄道網が充実しているので、ヨーロッパ域内においては共通した鉄道に関する規格が必要になってきました。以前は、各国ごとに鉄道車輛の規制がありましたが、EUが出来上がってその鉄道車両に関しても、均一な統一された規格を作りましょうという動きが出てきました。それが立ちあがる頃から我々はこの鉄道車両の評価試験に参入してきました。航空機と鉄道関係では我々が日本でトップランナーであると自負しています。

また太陽光発電モジュールも全部高分子材料の様々な組み合わせで出来ています。唯一違うのは発電するセルですが、その上には封止材というものだとか、壊れないように補強している材料、プラスチック材料が積層されているのです。これに対しても厳しい規制というのがあります。一時、太陽光発電というのがブームになって、試験評価の会社もあまたできましたが、だんだん太陽光発電が下火になってきて試験機関もみんな撤退してしまったんです。それでも我々はずっと残って頑張っていましたら、試験評価ができる会社は、今となってはケミトックスぐらいしかありません。一番大規模にやっていると思います。国とも、共同プロジェクトで研究もしています。太陽光発電も、我々が日本ではナンバーワンだと自負しています。ベースはいずれにせよ化学から始めて、それにこだわらないことです。世の中生き抜くためには、変化をしないとダメだと言われます。生物の進化論じゃないでが、体が大きくて強いだけじゃダメで、時に合わせて変われないとダメだと思うのです。だから、ケミトックスはしょっちゅう変わってるんですよ。

博士課程奨学金制度を根づかせて次世代に夢を託したい。


もともと研究をしたいという気持ちは学生の時からあったのですが、それを次の世代に託そうということで、上智大学博士課程奨学金制度を立ち上げたということはあるかと思います。やはり上智大学というと、英語系が圧倒的に有名で、多くの著名人が世の中に出ているのですが、我々が居たときには、「上智には理工学部があるんですか?」などと言われ、就職の時にも大変苦労しました。そんな私たちですが、卒業して50年以上に亘り大学に何も関心を持たなかった卒業生が金祝を機に、上智大学に貢献しようと言う気持ちを持ち理工学企業経営者の会が発足しました。理工学部経営者の会は理工学部同窓会に属しているのですが、この経営者の会は、皆さん会社を経営した経験がある人、もしくは今もしている人、そのような人が集まったんですね。そのような仲間の集まりの中で、上智の理工学部は文系の学部と比較して知名度が低く、何とか知名度を上げていくことを考えておりました。経営者の会による博士課程奨学金制度を立ち上げて根づかせていき、上智の理工学部からいつかノーベル賞受賞者を輩出することを期待したいですね。


現在は二人目の審査も進めています。経営者の会と大学の教授の方々に選んでいただいて5名候補者がいたのですが、5名の中から3名に絞っていただきました。各研究室から御紹介いただいた非常に優秀な方々ですが、最終的に1名に絞ります。3年間で5,500,000円位とかなりの高額かつ返済不要の奨学金を支給しますので、選考に正当性・公平性を出すために、外部の有識者2名と経営者の会代表1名から構成する外部有識者の会を作りました。メンバー構成は、ソフィア会の会長を以前やっておられた和泉さん、もう一人は東京医科歯科大の教授である由井先生です。おふたりとも上智の理工学部卒業生としてボランティアで御協力いただくことになりました。経営者の会のメンバーは1人ですから33% の権限となるので、これにより経営者の会で決めたのではなく、この有識者の会が選考したことになるわけです。良い人材が選べるのではないかと期待しております。

上智大学の理工学部からノーベル賞受賞者の輩出を!


そうですね、理工学部はブランド力がまだまだという感じがしています。上智の化学科の卒業生では京セラの社長がいらっしゃいますね。一つの大学が世界に認められるようになるには、長い時間がかかるのかなと思います。そういう意味で、この博士課程の奨学金制度が今後役立っていくといいなと期待しています。この制度でも、大切なことはどんなに苦しくても続けていくと、これに尽きるかなと思います。どうやって継続させるかということだと思います。奨学生一人目の選考はそんなに難しくなかったんですが、これからは大学の方にも理解をしていただいて候補者の方の中から優秀な方1名を選考しそれを10回20回30回と繰り返しているうちに、必ずや稀にみる優秀な人材が生まれてくるだろうと思っています。現在は2年に1回ですが、もう少し資金力に余裕が出てきて毎年選べるようにすると、層も厚くなるし、いろんな優秀な人材も出てくるでしょう。差し当たり次の目標は、毎年奨学生を選考できるよう、資金を確保していこうと考えております。そうやって努力するのは何のためかというと、やっぱりノーベル賞を取れるぐらいに研究を続けている人が出てきた、ということになると、やりがいがあるなと思います。現在は夢でも構いませんから、そういう思いは大事に取っておきたいなと思います、いつか出てきてくれるといいなあと。その夢が、我々が奨学金制度で募金を続ける一つの大きなモチベーションにつながります。ところで、個人で寄付すると、税金がかなり還付されるんですよ。それはほんとうに寄付した側とすると、「あっ、これだけ控除されたんだ。」というので、1回目の時は、ずいぶん控除されましたので私もびっくりしました。お金に余裕のある方はどんどん寄付していただきたいですね。


もっと欲を言うと、上智大学からは起業家、創業者を作らないとダメだと思います。そのために、今は少しずつ導入されているとは思うのですが、授業にそのための講座を取り入れていくようにして欲しいと思いますね。今後どういう形で起業家を育てればいいのかというのは、ここはもう大学にお任せするとしましょう。


最後にもう一回、日本人は一生懸命働かなければダメですね。自らも一生懸命働こうと思っています。今は上智大学に貢献しようという想いがありますけれど、それを更に広げて、日本のために貢献しようと。昔の人が戦争に負けて立ち上がりこれだけ立派な国を作ったわけですが、それがいつの間にか気がついてみたら、後進国になってしまったとは情けないです。もう1回、敗戦時を思い出して、日本は頑張らなきゃダメじゃないかと思い、そういう気持ちで今働いています。だけど日本のためにと思って一生懸命働いても、まだまだ何もできませんから、まず、上智大学に貢献しようと思ってやっていれば、それがひいては日本のためになるかなあと思っていますね。

 

【関連サイト】
上智大学理工学部同窓会WEBサイト内「企業経営者の会」ページ
http://www.sophiakai.jp/blog/rikougakubu-alumni/cat99/cat126/

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