寄付者の声

懐の深さに救われた、上智での2度の学校生活

安藤 優子 様 ジャーナリスト、キャスター

世界とのつながりを実感できた四谷キャンパス

私が上智大学に入学したのは、高校2年の時にアメリカへ留学したことがきっかけです。当時のアメリカはベトナム戦争が終結して厭戦気分が広がり、愛と平和を謳うヒッピー文化が隆盛でした。テレビドラマでは冬でも家の中で半袖シャツを着てハイヒールを履いた女性が生活を楽しんでいる。毎日実家で炬燵に入っている自分とのギャップに愕然としながらも、女優・歌手としてご活躍された松島トモ子さんの『ニューヨークひとりぼっち ミュージカル留学記』、能勢まさ子さんの『パパとママの娘―女子高校生のアメリカからの手紙』という高校生の留学体験記2冊を何度も読み返し、「私もバナナスプリットを食べてダンスパーティーに行く」とアメリカ文化への憧れを募らせました。

2度目の交換留学生募集に合格し、晴れてミシガン州のハートランド高校へ留学。在籍していた日比谷高校のカリキュラムが進んでいたお陰で半年飛び級となって3年生からスタートし、ホームステイをしながら見るものすべてが新鮮なアメリカでの高校生活を満喫できました。

高校卒業後は親の勧めもあって日本に帰国して大学へ進学することを決めますが、まだ帰国子女枠も少なく、多くの大学は海外に2年以上在住していなければ帰国子女枠での入学が認められませんでした。そんな中で門戸を開いてくれたのが上智大学です。英語で何かを表現したいと考えていたため、国際教養学部の前身であるインターナショナル・ディビジョンへ入ろうと、国数英に加え英語の小論文で受験し、1月入学を認めてくれました。ここから私と上智大学の縁がはじまります。

後に外国語学部比較文化学科、学部昇格、国際教養学部と変遷するインターナショナル・ディビジョンは、夜間の講義が充実し、留学生や社会人経験者も大勢いました。教授は学問の水先案内人で、生徒と対等にディスカッションしてくれる環境はアメリカと同じ。しかも先生方が個性的な方ばかりで、ソ連のアフガニスタン侵攻によってフランスへ亡命後、上智で国際関係論を教えていたGhaussy, Saadollah教授、ナチスドイツに追われた経験を持つ哲学のBihari, Zoltan教授、日本人として初めて国連難民高等弁務官になった緒方貞子さん、三木内閣で文部大臣を務めた永井道夫さんらに教わることができ、大学のキャンパスに居ながら世界とつながっている実感を得られました。

在学中に報道の世界に飛び込んだためしばらく休学し、復学したのは28歳の時。ただ、一度社会を経験したことで以前は“平面”だった教授の話や書籍の文章がすべて“立体”になって自分の中に入ってきたのを覚えています。一つの文章にも、その先には人の営みがある。復学したことで学びを豊かに捉えられるようになったのです。

 

上智の縁で実現した、大統領への単独インタビューと大学院進学

私はこれまでジャーナリスト、キャスターとしてキャリアを積んできましたが、仕事の中で上智大学でのつながりの強さを感じられたのは2003年です。

2001年にアメリカ同時多発テロ事件が発生し、米英主導の軍事行動によってアフガニスタンのタリバン政権が崩壊、新たにカルザイ政権が誕生します。2003年、カルザイ大統領は最初の訪問国として日本を選び、高輪のホテルに宿泊していました。私は何とかインタビューしようと番組スタッフと共にホテルに張っていましたが、厳戒態勢でCNNのクルーも一切近づけません。

その時、「ミズ安藤」と呼ぶ声が聞こえ、振り向くとGhaussy教授が立っていたのです。とても驚き、「なぜこんな所に?」と訊ねると、Ghaussy教授は新政権の閣僚になっていて大統領と共に来日しているのだと話してくれました。

そこでGhaussy教授に仲介をお願いしたところ、世界各国のメディアが居並ぶ中で私たちだけがカルザイ大統領の単独インタビューに成功。上智大学の縁によって実現した、いまでも忘れられないインタビューです。

長く報道に携わり、目の前で起きていることはスムーズに伝えられるようになりました。他者へ伝達する力は日々のトレーニングで養えるからです。しかし、政治や物事を歴史的な背景まで含めて正確に伝えるには知識が必要で、個人的に知識不足を感じることも多くありました。この件をGhaussy教授に相談すると、「ハーバード大学の大学院に行って勉強し直せば良い」と言われ、大学院へ行こうと決意し勉強を再開します。TOEFLなどの入学条件をクリアし、無事に合格。あとはテレビ局の許可をもらうだけでした。その頃は夕方のニュース番組を任されており、アメリカで大学院に通うなら番組は降板しなければなりません。でも、番組が成功しているのに海外の大学院で学び直したいなんて信じられないと言われ、あきらめざるを得ませんでした。

でも、学びへの渇望も抑えられない。そして再び上智の門を叩き、他の受験生と同じように大学院向けの学力テストを受け、小論文と面接に挑みました。後から聞いた話ですが、私の受験を知った先生方はニュースキャスターを続けながら学位を取れるはずがないと思ったそうです。ただ、落とす理由もない、だから受け入れようと決まったらしく、私は合格通知を受け取ることができました。

どうせ無理だと落とすのではなく、どこまで頑張れるか見てみようという懐の深さに救われましたし、大学院で学ぶ機会を与えてくれたことには本当に感謝しています。

 

受けた恩を返したい。その想いから継続的に寄付へ協力

念願だった大学院に入り、大学時代よりも熱心に勉強に励みました。午前中に講義を詰め込み、午後は事情を考慮していただき途中で退席、番組終了後に学校へ戻り補講を受けさせていただくこともありました。報道は情報を瞬間的に解析してアウトプットする仕事ですが、学びは立ち止まって反芻します。相反する2つの作業を並行して進めていくことで初めて学びの本質を理解できたと感じましたし、とても幸せな時間を過ごせました。自分がどれほど無知だったかも痛感し、この気持ちは今後も大切にしていきたいと思っています。仕事に追われる中でもすべての講義に出席してほぼオールAの成績を取れたこと、12年かけて論文を仕上げ、2019年に博士号を取得できたことは私の誇りであると同時に、ご指導いただいた先生方と上智大学に心から感謝をしています。

大学と大学院で学ばせてもらい、上智に在籍したからこそ得られた出会いと学びがありました。この恩を少しでも返したいと思い、SOPHIAプレート募金をはじめとする上智学院への寄付も微力ながら継続的に協力しています。そんな卒業生の一人として上智学院への期待を語るなら、私が大学生だった頃から変わらないグローバルで自由闊達な校風であり続けてほしい、ということです。また、「最近は学生が大人しくなった」と言われますが、少し前まで四谷キャンパスに登校していた身からすると、上智の学生はまったくそんなことありません。さまざまなバックグラウンドを持つ学生が主体的に学び、ディスカッションし、人間的な成長を図っています。学生には唯一無二のこの環境で多様な学びと経験を楽しみ、貪欲に上智を味わってほしいです。

個人的には40年以上報道にいた経験を活かして、「なりたい自分を目指せる社会づくり」の一助となれるよう情報発信を続けていきたいと思っています。報道の現場は完全に男性社会で、人員構成としては歪でした。もっと自由に、自分らしく働きたいと願う女性の後押しをしたいですし、性別や国籍を問わず誰もが居心地の良い社会になってほしいと願っています。

SOPHIA未来プレート募金