寄付者の声

上智のようなインターナショナルな大学から次世代のリーダーは生まれる

島田 成年 様 シマダグループ株式会社 代表取締役C.E.O.

上智大学の国際的な雰囲気に感化されアメリカに一人旅へ

シマダグループは不動産、ホテル、介護、米・飲食事業など幅広い事業を手掛けています。最近では「Barとホテル」や「ホテルと介護」など事業形態を組み合わせた新しいサービスを提供し、多くの方にご好評いただいています。

シマダグループのスタートは祖父がはじめた米穀店でした。人の出入りが激しく、「うちは商売の家」という認識が子どもの頃から自然と形成されたように思います。中学と高校は東京・国立市にある男子校に通っていましたが、親も毎日忙しく働いていたので家族旅行に行った記憶はほとんどありません。

だからこそ、上智大学の四谷キャンパスは私にとって刺激に満ちたものでした。来日した国賓が迎賓館を訪れるとキャンパス周辺の道路が封鎖され、その国の国旗が掲揚される。当時、留学生は市ヶ谷キャンパスに通っていましたが、それでも大学全体を覆うインターナショナルな雰囲気が大好きでした。1年次から国際協力サークルに入り、フィリピンのアテネオ・デ・マニラ大学へ短期の交換留学を経験。そこでいろいろな人と交流する楽しさを知り、2年次にはアメリカ中央部のコロラド州から南部のテキサス、東部のNYまで一人旅をしました。

その頃、カンボジアでは内戦の影響で120万人が難民となり、当時のヨセフ・ピタウ学長は自ら新宿駅の街頭に立って募金活動を行いました。ピタウ学長の行動に感銘を受け、自らの意思でアクションを起こす大切さを教わったような気がしました。

 

本質は同じでも、形を変えて新しい価値とサービスを提供する

大学卒業後は野村不動産に就職しました。「食の次は家だ」と父親が建売住宅の開発をはじめていて、暮らしの基盤となる住宅づくりに興味が湧いていたからです。野村不動産では注文住宅の営業、千葉県鴨川のリゾートや北海道のスキー場の開発、プーケットでの新規事業など、多様な経験を積ませてもらいました。私のキャリアにおいて野村不動産で実務に携わった経験は大きく、「こんなことをやりたい」と発信すれば必ず誰かが覚えていて叶えられると学びました。

私は長男なので2~3年営業を経験したら家業を継ごうと考えていたのですが、野村不動産での仕事が面白く、気付けば8年も在籍。30歳の時にいよいよ父親から「お前が戻ってこないなら建売住宅の事業はもう止めようと思うが、どうする?」と言われ、意を決して家に戻ったのです。

経営者となってからは、これまでシマダグループが紡いできた住宅とお米をベースに事業を展開してきました。分譲住宅やマンションはつくったものを売ります。しかし、それを2年で貸せば賃貸住宅になり、1カ月貸せばサービスアパートになる。そして、1日で貸せばホテルになる。分譲住宅も賃貸住宅もサービスアパートもホテルも、食事や就寝スペースなどの住居機能は同じで、利用する人と利用期間が違うだけなのです。女子寮や独身寮に入居した人がそのまま40年住み続けるなら介護ステーションにすればいい。すると、かつての寮は高齢者向けのシェアハウスや介護施設に変形します。そのような発想で次々と新しいアイデアをカタチにしてきました。

介護施設でホテルのような快適なサービスを受けられないかという考えから誕生した『葉山うみのホテル サービスレジデンス』は4年前に開業して瞬く間に入居者が埋まりました。割烹料理と旅館が組み合わさった割烹旅館があるなら、Barに宿泊できても良いだろうとつくったのが「bar hotel 箱根香山」です。また、米穀店からはじまった会社の歴史から、米粉と水が原料であるベトナムの代表的な料理・フォーに着目して日本初の米麺フォー専門店『COMPHO(コムフォー)』を立ち上げ、廃業危機にあった伊勢原市の酒蔵『吉川醸造』をグループ化して日本酒づくりにも取り組んでいます。

住居や食(お米)という私たちにとって必要不可欠なものの機能を組み合わせたり、形を変えることで新しい価値とサービスを創造する。今後もメタモルフォーゼ(変形・変態)を続けながら会社を発展させたいと思っています。

 

四谷キャンパスなら、お互いの違いを理解し、助け合える

上智大学とは卒業後も後援会や寄付でつながりを保ってきました。末の娘が上智大学に入学したので2018年から4年間ほど後援会役員を務め、上智大学によるアンコールワット西参道修復事業へは継続的に寄付を行っています。アンコールワット西参道修復事業は、敬愛する元学長の石澤先生が長年にわたり尽力されてきたプロジェクトです。石澤先生はどんな時も、何事に対しても、自分事として捉えチャレンジします。寄付という形で先生の活動に協力する過程で、私自身も人との縁や継続性の大切さを改めて実感することができました。ヨセフ・ピタウ大司教や石澤先生を含め、上智大学を牽引する方々はみなさん本当に気さくでフラットです。私も企業経営者の一人として、そうした姿勢を見習っています。

また、アンコールワットには社員研修で訪れたこともあります。幼少期の私も同じ体験をしましたが、サービス業や飲食業に携わっているとなかなか海外に行く機会がありません。そこで、会社負担で社員を海外に連れていくために社員研修を活用している、というわけです。

日本は島国で災害大国なので、不測の事態に備えるために助け合いの文化が根付いています。一方、ユーラシア大陸など大きな大陸では災害が少なく、至るところで紛争が起こります。アンコールワットが荒廃したのも内戦のせいでしたし、いまも東欧や西アジアで領土争いが起きています。このような世界情勢の中では助け合いを率先するリーダーが必要です。そして、上智大学のようなインターナショナルな大学が果たせる役割は非常に大きいと思います。

国籍・人種・文化・宗教など互いの違いを理解すること、その上で助け合いや調和の心を大切にできること。現代の国際社会で求められるこの二点は、四谷という都心にあり、世界中から留学生が集まり、世界にも羽ばたきやすい上智大学の環境でより多く学べるはずです。大学にも、そのような次世代のリーダーを多く輩出してほしいと期待しています。

私は大学生になったばかりの頃、「せっかく上智大学に入ったのだから学生のうちに海外に行きたい」と強く思っていました。最近はそのような志向の学生が減っているように感じますが、長期間海外に行けるのは学生の間だけです。上智大学の学生には積極的に海外に行き、今しかできない経験を積んでほしいと願っています。

そして、何かやりたいことがあるならぜひ起業してください。「儲けたい」という理由で起業すると上手くいかなくなった時に投げ出してしまいますが、「やりたい」という想いが原動力なら上手くいくまで頑張れるし、組織のトップにいる方が何事も実現しやすい。大学や海外でいろいろなモノを見聞きし、経験し、自分が本当にやりたいことを見つけてください。