寄付者の声

想いは未来に引き継がれていく

石井 悦子 様 1970年 文学部英文学科卒業生

2026年度より、上智大学では全国の大学で初めてとなる交通遺児を対象とした給付型の奨学金制度が始まります。これは、ある一人の卒業生の強い想いによって実現したものです。人生の終焉が見えたとき、その方があらためて見つめ直した人生の意義とは何だったのか。静かな決意の背景にある想いを、ここにご紹介します。

 

心にひっかかり続けていた存在

私の父は自動車会社に勤めていました。そのおかげもあって、学生時代には、経済的なことで困ることはほとんどなく、不自由を感じることなく過ごすことができました。ありがたいことに、勉強も、友人との時間も、当たり前のように享受できていました。そうした日々がどれほど尊いものだったか。それに気付いたのは、社会に出てからだったように思います。

一方で、同じ「自動車」に関わる事故で、突然ご両親を失った子どもたちがいる。厳しい状況の中で生きていく交通遺児の存在を耳にするたび、胸の奥に小さな痛みが残りました。「私に、何かできることはないだろうか」そんな思いから、これまでも細やかな支援を続けてきました。

 

ある宣告

大学卒業後は、上智大学の職員として勤務し、多くの学生の成長を目にしながら、その姿に励まされ、充実した社会人生活を送ることができました。退職後も、40歳から始めた登山を楽しみながら、日々、穏やかに過ごしていました。

そんな日常が、ある日、突然変わります。2023年。不調の折に通った病院で、医師からがんであることを告げられました。そして、2025年の秋、病状は進行し、末期がんの宣告を受けました。「もう年は越せないと思います」その言葉を耳にし、人生の終わりが現実のものとして目の前に立ち現れました。

 

人生の終わりが連れてきた問い

「自分の人生にどんな意味を遺すのか」これまでぼんやりと考えてきた問いが、待ったなしで心の中に迫ってきました。心に思い浮かんだのは、やはり交通遺児のことでした。残された人生の中で、自分の資産をどう使うのか。もう今さら、ダイヤモンドを買って贅沢したいなんて思わなかったし、お金は墓場まで持っていけない。

それなら、社会のために役立ててほしい。自分の大切な思いを、きちんと形に遺したい。行き着いた答えは、母校・上智大学への寄付でした。自分が大きく成長し、多くの出会いと経験を得て、その後の人生の糧を育んでくれた場所。その原点にこそ、想いを託す意味があると感じたのです。

 

対話を重ね、想いを形に

当時、上智大学には、交通遺児を対象とした給付型の奨学金制度はありませんでした。それでも母校に電話をかけてみたところ、すぐに面会の機会が設定されました。何度も対話を重ねるなかで、「その想い、実現できます」と担当者が真剣に向き合ってくれたことが、私の背中を押してくれました。

自分が望んでいた支援の形が少しずつ具体化していく。その過程を見守る時間は、とても晴れやかでした。「初めての受給者を見届けたい」それが、今の私の希望です。

※外部団体の貸与型の給付金制度はあり。

 

奨学金に込めた想い

この奨学金に込めた願いは、学費を補うことだけではありません。生活費を稼ぐためにアルバイトに追われる日々を過ごすのではなく、夏には海へ行き、冬にはお気に入りのコートを着て出かける。旅をして、世界を知り、友人と語り合い、笑い合う。今しかできない経験を、どうか、あきらめないでほしい。そうした一つひとつが、必ず、人生の糧になります。私は、それを自分の人生で学びました。

 

私にとっての上智らしさ

人生の終焉が見えた今、はっきりと思うことがあります。人生の意義とは、人や社会のために尽くすことなのだと。私は、これまで、本当に多くの人と社会に支えられて生きてきました。だから今度は、私が支える番です。それこそが、私にとっての「上智らしさ」なのだと思っています。

この寄付は、豊かな社会を築いてこられた先人たちへの敬意であり、自分の人生に笑顔や涙を与えてくれた人への感謝であり、そして自分の礎を築いてくれた母校への恩返しです。そして何より、私の魂と、大切な思いを、未来へ託す選択です。

この思いを受け取った学生たちが、やがて次の社会をつくっていく。その姿を想像しながら、私は、静かに願っています。

この温かい気持ちの輪が、どうか、これからも広がっていきますように。